西新宿物語

男のお客さんと女のお客さん

お客さんでは、二十代の若い人たちや女性たちも嬉しいが、昔の古い客が、二十何年ぶりに来てくれるなんていうのは、すごく嬉しいものだ。 この間、五十歳ぐらいの血色も体格もいいサラリーマンが、後輩らしい数人の男性を連れて来た。
「おやじさん、覚えているかい、おれ」
「はーて、どなたでしたっけ」
「ほら、明治のアメボールの山下だよ」
「あれえ、そうか、なーんだ、おめえさんか。ずいぶんしばらくだったじゃねえか。元気かい」
「うん、お蔭さんでね。だけどやっぱし懐かしいなあ。もう十五年も来なかったもんなあ。おやじさん、二階で飲んでるから、あとでグラス持って、来てくれよ」

彼は、昭和三十一年ごろ、明治大学のアメリカンフットボールの選手だった。あのころは坊主頭で、五、六人の仲間と連れ立って、昔の第二宝来家に「おっす」「おっす」と、よく飲みに釆てくれた。彼の仲間はみんなデカかった。柔道部の菊地なんてえのは、まるでデカかった。一度、店の中で、やくざに絡まれたことがあった。すると菊地は頭がいいから、店の中ではあやまって、表へ出たらバンバンとやっちゃった。やくざは亀血を出して吹っ飛んじゃった。彼はもどってくるといったもんだ。
「おやじー、しまつしらやったよ」
私は相手がやくざだから、
「やんじゃねえよ」
といってたんたが、やっちゃった。しかし、今となってみると、あいつはほんとにいい男だった。

やくざといえば、こんなこともあった。昭和班年ごろのことだ。若い二十二歳ぐらいの学生が、やはり昔の第二宝来家に、やくざに追われて逃げ込んできた。カウンターに坐って、小さくたっている。そこへ、三人のチンピラが押しかけてきた。それを見て私はいった。
「なんだおめえら」
「うん、いやあ、その学生、おやじさんのこと知ってたんか」
「ああ、おれのお客さんの知りあいだ」
「ふーん、それじゃしょうがねえな」
三人のやくざは、それっきりだまって帰っていった。
その学生は、今、鉄工所の社長になって、ときどき、今の第二宝来家に来てくれる。
「学生帽かぶってやきとりキャバレーで飲んでたら、三人のチンピラにいんねんをつけられて、はじめての宝来家に逃げこんたんだ。おやじさんには助けられたな。今でも忘れられないよ」

昭和地年春まで、西口一帯には約三〇〇軒のバラックの店があった。テキヤ関東安田組が昭和山年末から松年はじめにかけて、焼野原を不法占拠して急造したものた。私らはそれを安田組から買って商売をした。だから安田組はここを縄張りとしていた。そういうわけで、その子分たらが、西口会館が建設工事にかかった紙年春ごろまで、このあたりで羽振りを利かせていたのだ。

今年の二月はじめに来た、二十五歳ぐらいのOLには驚かされた。第二宝来家に会社の仲間の女性二人と釆て、カウンターで飲んだり食べたりしゃべったり、楽しそうだった。そのうちにだんだん酔いがまわり、男の話になると、そのOLさんがいった。
「この間、ホストクラブに男を買いに行ったのよ、そしたら可愛い子がいるじゃない、二十一歳ぐらいの。それで向こうが知っているマンションに行ったのよ。ところがさ、それがぜんぜん工合いかよくなかったのよ。一方円は取られるし、バッカみたい」
カウンターの中で聞いていた私は内心鷲いたが、さりげない顔をしていった。
「金を取らねえのがここにいるけど、どうたい」
「あらあ、おじさんじゃだめよお」
まったく男女同権というか、女性上位というか、変わった世の中になってきたもんだと感心した。おなじころ、二人連れで来た、やはり二十代のOLには、すっかり嬉しくされた。近くのデパートの人たちだ。会社で仕事をしているうちに、夜、飲みにいこうとなって、一人がいったらしい。
「私ね、旨ーいやきとり屋知ってるのよ。そこへ案内するわ」
「ほんと、私も知ってるんだけとな、旨ーいやきとり屋」
そして、そろって、うちに来た。
「わーっ、私の知ってるとこもここよ」
おニ人さんはご満足、おやじはにたりにたりだったなあ。

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仲通り飲食街

しかし、やきとりにしても、ほかの料理にしても、いつまでたっても工夫を止めることはできない。味に際限はないからだ。また、たくあんや、こんにゃく煮や、ごぼう煮みたいな、常連客へのちょっとしたサービス品でも、いい加減なものは出せない。スーパーあたりで買ってきたものに味の素をぶっかけて出すなんてことをやってはだめだ。 いつだったか、週に三回か四回来てくれる四十代の男のお客にごぼう煮をほんの少し、サービスに出したところ、翌日また来てくれて、
「おやじさん、昨日のごぼうの作り方、教えてよ」
といわれた。
「教えてできるもんじゃないよ」
「女房が教えてもらってくれというんだ」

「おれが教えた通りのことを奥さんにいってみな、あんた自分で作ってみてといわれるよ。いまの奥さんたちは、スーパーあたりで何でも買ってきて、あとはテレビ料理を見てやってんだ。おれはちがうよ。まず、自転車に乗って、あっちこっち、安くていいものを探すんだ。ごぼうだってそうだよ。それからね、ごぼう煮るときは、お湯が熱くてもだめ、ぬるくてもだめ。中ぐらいのお湯に、きざんだやつを入れると、アクが真っ赤になって出る。反対にごぼうは白くなる。それから水を切る。タレを作る。そこでごぼうを油でいためて、タレを仕掛ける。タレの作り方だって、仕掛け方だって一口じゃいえないし、いったってなかなかできるもんじゃない。こういうことを奥さんにいえば、自分でやったらっていわれるよ」
「ふーん、かんたんじゃねえんだなあ」
まったくその通りで、うまいものを作ろうとしたら手間がかかる。しかし、われわれはそれをやらなきゃならないのだ。

店は、午後六時ごろからだんだんお客がふえ、七時から八時にかけてピークとなる。一週間のうちでいうと、月曜日と金曜日が忙しい。特に毎月二十八日から翌月三日ごろまでは、第一、第二の二つの店でも入りきれないくらいになる。 うちのお客さんは、年齢でいうと、三十代、四十代がいちばん多い。それから二十代、五十代以上という順だ。そして男性が八十パーセントから九十パーセントで、残念ながら、女性はまだ少ない。 アベックはちらほら。
飲食代は、平均すると、千円以内だろう。

お客さんの職業はさまざまだが、やはりサラリーマンとOLが多い。近辺のデパート、銀行、保険会社、学校、役所、超高層ビルの人たちや、都心の官公庁、電力会社、建築会社などの人たちだ。商店の人も少なくない。 外人もときどき来る。京王プラザホテル、ホテルサンルート、新宿プリンスホテルなどの泊り客だ。白人よりも東南アジアの人が多い。韓国、台湾、香港、シンガポール、タイなどだ。店の前を行ったり来たりして、入ろうか入るまいかという姿をよく見かける。入ってくると、会計の大森がカタコト英語で何とか間に合わせる。

やくざは、昭和三十年代までは、まわりでうろついたり、店に入ってきて、悪い印象をあたえることがあった。しかし、今はまったくといってもいいくらい姿を見せない。ときたま来ることもあるが、おとなしく飲んで帰る。騒げば警察に引っ張られるからだ。また、この飲食店街には、女性が接客サービスをする風俗営業の店が少ないので、取りつくシマもないのだろう。暴力団が経営している店も一軒もない。そのせいか、もう長い間、これというトラブルや事件を聞かない。