西新宿物語

終戦直後の酒と女の面白い話

仲通りの第一宝来家の店員から聞いた話がある。今年三月はじめの午後五時ごろ、五十代半ばぐらいのインテリ風の男性か釆て、やきとりでニ級酒を飲み始めた。
「ここは盃じゃなくて、何でグラスで酒を飲ませるのかな」
「うんと飲んでもらいたいからですよ」
吉田が答えた。
うちの酒用グラスは、ビールグラスの五分の二ぐらいの大きさだ。吉田が答えた通り、うんと飲んでもらいたいからだ。ついでにお話ししておくと、うちではおしぼりを出さない。箸は安物の割箸。荷物はお預かりするが、昔、預かった荷物を別のお客に渡してしまい、弁償したという失敗もあった。
インテリさんは、酒が入ると、だんだん愉快そうになり、吉田や山田に昔のことを聞き出した。この店が、戦後いちばん早く新宿でやきとり屋を始めたところで、建物はそのときのままだと聞くと、
「ヘー」と驚き、あたりを眺めた。それから、
「昭和二十二年ごろねー」
と呟いた。

そのうち、隣りの席に、五十歳ぐらいの男性が腰をおるし、ビールとやきとりの塩焼を注文した。隣りの客と店員のやりとりに耳を傾けていたが、
「そのころ私もこの辺にちょくちょく来たんですよ。超高層ビルの向こうの成子坂に成子富士館という映画館があって、黒沢明の 〃酔いどれ天使〃 をやってたころですよ。三本十円かのやきとんを食って、カストリ焼酎に、皿の上の七色とうからしを多目につまんでばらばら振りかけ、ぐいっと飲むんです。それから駆足で青梅街道に出て、ぐるっと駅の東口までじゃんじゃん駈けるんですよ」
と、話に割り込んできた。
「えー、なんでとうからしを入れて駈けるんですか」
「早く酔うからですよ。金かないから一杯しか飲めないし、一杯で酔うにはそうするしかないんです」
「ぼくもカストリは飲んだことがあるが、とうがらしを入れて駈けるとは知らなかったなあ」
話をするうちに、この人は絵描きらしいと分かった。

興が乗ったとき、こんどはインテリさんがしゃべり始めた。
「〃酔いどれ天使〃 は昭和二十三年の封切りじゃなかったかな。いい映画だったですね。ぼくは、昭和二十二年に思い出があるんですよ。新宿駅南口から、新宿御苑に行く甲州街道が下り坂になっているでしょう。当時、道の両側に街娼がずらーっと並んで立ってましてね。通行人に、『ちょっとお兄さん、こっちへいらして』って、小さい声で呼びかけるんです。六月で小雨が降っていて、夕方でした。彼女らはみんな傘さしてましてね。洋服のも着物のもいました。そのときぼくは二十歳で、また女を知らないサラだったんですよ。しかし、昼食のとき、大学の友人と話をしているうちに、『シラフだってやれるさ』っていってしまったので、出かけて行ったんでよく見きわめて、なんて余裕はなかったですね。三、四㍍隔てたところを歩くうちに、何となく感じのよさそうなのに近づいて、「いくら」と聞いたら『四〇〇円』というんで、一緒に行ったんです。坂を下りて右へ曲がり、旭町というところの安っぽい木造二階のドヤに入りました。部屋は、まわりがベニヤ板の三畳で、安ぶとんが置いてあるだけ。裸電灯をつけた女の顔を見ると、ごつくてワニみたいなんですよ。それが金を受け取るとだまって洋服を脱ぎ、シュミーズ一枚になってパンツも脱ぎ、ふとんの上に仰向けに寝て両脚をひろげ、無愛想に、『早くして』つていうんだなあ。とんでもないことになったと思ったけど、もうあとの祭りですよ。ゴムは彼女が持っていて、何もいわずにつけてくれました。しかし、終わってみると、なんだか、がさがさした火山岩の広い穴に、そそくさ小便をひっかけたような、荒涼とした感じでしたねえ」
「花園神社の近くには、三〇〇円ていうのがいましたよ、ふとんは座ぷとんで。だけど、毛じらみをうつされて、参りましたよ。毛の根元に食い込んでるから、爪を立てて、毛に沿ってつまみ上げなきゃならないんだ。そいつを新聞紙の上でつぶすんですが、つぶし切れないんですよねえ。満員電車の中で血を吸われると、かゆさがきゅうーっと突き上げてきて、いても立ってもいられない。刺戟されてムスコも頭を擡げてくるでしょう。手は動かせないし、前の人にはつっかえるし、どうしようもなかったですねえ」

うちの店は、毎日午後十一時に閉店する。ちかごろ、ときどき、午後十時ごろから、ミュージックなしの歌謡ショーが開かれるようになった。
「おやじ、十時だよ、そろそろいいんじゃねえかい」
二階のお客から声がかかる。ほかのお客に迷惑をかけるような人たちではないので、
「ああいいよ」
と返事をする。
歌い始まると、二階中のお客さんがみんな同調して、気持よさそうに声を張り上げている。私は下で聞きながら、もう止めようと思った酒を、もう一杯、もう一杯と飲んでしまう。

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