西新宿物語

誰がつけたか「小便横丁」

このバラック飲食店街は〃小便横丁〃という名で東京中に知れ渡っている。
しかしわれわれにとって、この〃小便横丁〃という名前は有難くない。
「きたねえな」
「不潔だな」
「下品だよ」
こんな言葉かはね返ってくる。一方には、
「人間的でいいじゃないか」
「ふるさとの感じがするよ」
「小便小僧と同じで愛橋があるよ」
という言葉もあるが、やっぱりマイナスだ。それはそうだろう。小便の臭いがするところで飲み食いしたんでは、気分がいいわけがない。田んぼ、畑の農村に行ったって、肥溜のそばで飲み食いするなんていうのは、ふつうの人ではない。 まあ、強いていえば、山や野原で飲み食いするとき、五十㍍先の草むらなんかで用を足すのは、オツだとはいわないまでも、わるくはない気もするが。
しかし、ここではそういうわけにいかない。臭ってきたり、跡が見えたりするように思われるからだ。

では、どうして〃小便横丁〃といわれるようになったのかをお話ししたい。 この飲食店街の東側には、前に説明したように約五㍍の道路が国電中央線と平行して通っている。線路は三㍍ぐらい高いところにあるが、線路と道路の間は士堤になっていて、土堤は表面をコンクリートで固められている。
問題の場所はここだ。
この通りには、ずらりと赤提灯がぶら下がって明るくたっている。土堤のコンクリートにも「小便禁止」の大きな文字が書かれていて、立小便がしにくいようにしてある。
われわれは、去年からこの通りを〃やきとり横丁〃と名づけ、その文字提灯も掲げて、〃小便横丁〃といわれない上うに努力をしている。線路際の店々は、店内にトイレを持っている。仲通りには、三年前に改造した大きな公衆便所がある。また、隣りの西口会館の線路際にも、小ぎれいなものがある。
だから、今は、わけも分からない酔っばらいでもなければ、この土堤に立小便をするような人はいなくなった。

しかし、何年か前までは、ここに用を足す酔客がときどきいた。そこで商店街では、公衆衛生上、営業上、放置できないとして、どうするかということになったのだ。
この議論は、どうやって立小便を根絶するかということならば正しい。ところが、それにつけこんで、一挙に・バラック商店街を取り壊し、ビルを建てて儲けたいという人たちが出てきた。
ここの地価は一坪一千万円という。こんなところでバラックの飲み屋で、一本六〇円とか、せいぜい百円のやきとりなんかを売って、あくせく働くなんていうのは時代遅れだ。モダーンなビルを建てて、モダーンな商売をやるべきだ。 こういう意見の人たちが、バラック商店街取り壊しの世論をつくろうとして、〃小便横丁〃という名前をしきりに口にした。それがお客の耳に入り、口から口に伝わって、東京中に知れ渡ったという気がする。

立小便は軽犯罪法で禁止されている。アメリカ、ヨーロッパでは、「きわめて野蛮、不潔な行為」として厳禁されているという。しかし、日本にしても欧米にしても、山や野原でも許せない悪徳行為とは考えないのではなかろうか。そうでなければ、〃小便小僧〃 なんて作らないだろう。
立小便を弁護するみたいな話になったが、私としても、少なくともこの商店街近辺での立小便は反対で、ぜひ根絶したい。 しかし、だからといって、即ビル建設という意見には賛成しかねる。

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線路際のやきとり横丁
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小便禁止のコンクリート塀

この商店街のすぐ南隣りに新宿西口会館という八階建てのビルがある。その中に、昔、その土地のバラックの店で商売をしていた飲食店が多数入っている。私もその一人で、三階で大和という天ぷら屋をやっている。 この新宿西口会館は、昭和三十八年十一月一日にオープンした。当時はたいへん繋昌した。ところが今は、そのころとくらべて、客数が三分の一に減っている。商売はたいへんきびしい。なぜそうなったかといえば、あとから出来た京王デパート、小田急デパート、新宿ルミネなどに客を取られたからだ。
今残っているわれわれのバラック商店街を取り壊してビルを建てるといっても、私は西口会館の二の舞いになるという気がする。またそうなっても、誰も補償してくれない。 それならば、今のままの方が遥かにいい。さいきん不況とか過当競争とかいっても、よそにない特色をもっと生かしてやれば、再び繁昌するにちがいない。
しかし、〃小便横丁〃という名前がひろがれば、そんなところには行かない方がいいし、早くぶっ壊せという世論が高まる。早期ビル建設派は、それを狙っているようだ。

何年か前に、NHKテレビの人が、仲通りと線路際飲食店会の会長ということで、私に会いに来た。
《昼、超高層ビル内で働いている人たちが、夜はこの飲食街を憩いの場としてやってくる。そして古い小さな店のカウンターに、小島たちが止まり木に並んでとまるように坐って楽しいひとときを過ごす。そういうところをテレビに出したい》
何ということもないので、私は承知した。
ところが、撮影当日、仲通りの食堂の主人が私のところにすっ飛んできた。
「NHKテレビが、仲通りで立小便の恰好をしているところを撮そうとしている。そんなことを会長が許可したのか」
私は驚いた。そんなことを承知するはずかない。また、仲通りなんて、たった1m半ぐらいの細道で、西側はみんな飲食店だ。そこで立小便でもしようものなら、ぜんぶの店の連中がたたき出す。それなのに、サクラを使ってデッチ上げの画面を作ろうとしている。 食堂の主人が連れてきた撮影関係者に私はいった。
「そんなこと承知した覚えはないよ。直ぐ止めてくれ。それがいやなら、あそこはみんなの土地で私道だ。出て行ってもらうよ」
結局、NHKテレビは、テレビでの放映はしたが、立小便のシーンは出さなかった。NHKが悪意でそんなことをするとは思えないが、しかし、マスコミってうっかり信用できないたと思ったものだ。

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小滝橋通りからバラック商店街と新宿西口会館を見る
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仲通り夜景

商店街は古いままがいいか、ビルにした方がいいか、お客の声も聞こうと思い、多くの人に聞いてみた。
「おやじさん、ビルの中のやきとり屋なんて、気分が出ねえよ。あばら屋に限るよ、やきとり屋は」
「東京中どこへ行ったってコンクリートのビルばかり。古い木の家で飲み食いしてみたいんだよ」
「戦後の姿がそのまま残っている飲み屋街なんて、ここしかないだろう。どうしてもとっといてよ」
誰に聞いたって、ビルにした方がいいという意見はない。 できることなら私もそうしたい。しかし、新しい波が次から次に押し寄せてくる。しっかり対応しないと、たちまち押し流されてしまう。

さいきんは世間一般が不景気だ。また西新宿に飲食店がふえ過ぎて、競争が敵しい。昭和四十年代は、この線路際の通りでも、やきとり屋は四軒しかなかった。しかし今は軒並みといえるくらいだ。だから、このまま同じようなことをやっていたのでは、商売はますます難しくなるだろう。安易な気持でビルにすれば、西口会館のようになるし、バラックのままでも、もっと人をひきつける工夫をしなければならない。

商店街全体のイメージはいいか?
店の外見、内装は、「いいムード」だろうか?
飲食器は「いい感じ」か?
料理の種類をもっとふやした方がいいだろうか?
店員は「感じいい」か?

そういうあれこれを研究しなくてはなるまい。
だがその前に、今日ここに来るまでのことを、もういちどふり返らせていただきたい。