戦後のやきとり発祥地
ここは西新宿。国鉄新宿駅から西へ約五百㍍のところには、ご存じ超高層ビル群が空高くニョキニョキと並び立っている。 駅からそこへ行くまでの一帯は、デパート、銀行、保険会社などの十階前後のビルが隙間なく並ぶ商店街・ビジネス街になっている。 新宿駅西口前の地上は大きなバスターミナルだ。昭和五十五年八月十九日火曜日、頭がおかしくなった三十八歳の男が、停車中の京王帝都バスにガソリンをぶち込み、火をつけた。そのため、三人が焼死、二十人が負傷という惨事を起こした苦い思い出がある。
この広場から北へ五、六十m、国鉄中央線の線路に沿って、ひどく古い木造バラック風の商店街がある。超高層ビル街とはまったく趣きがちがう前時代的な街だ。 この商店街の中央には、線路と平行して、幅約一㍍半の細い路次が通り、七、八十m北の広い青梅街道につき当たっている。この仲通りの両側に、それぞれ二十数軒の小さな店が並んでいる。それらの店々と背中合わせにもまた、同じように店があり、背中の店とは反対方向に顔を向けている。いちばん線路に近い東側には、幅約五mの道がやはり線路と平行して青梅街道に抜けている。線路からいちばん遠い西側の店々は、駅前広場から北の青梅街道を横切り中野方面に向かう広いバス道路・小滝橋通りに面している。
商店街の店は約九十軒ある。小ぎれいな洋服屋、ゲームセンター、パン屋、食料品店、薬局、本屋、時計屋などが広い表通りに面し、約六十軒の旧新飲食店が仲通りと線路際に並んでいる。飲食店は、やきとり屋、おでん屋、すし屋、うなぎ屋、一杯飲み屋、ラーメン屋、食堂などだ。仲通りの店はどれも小じんまりした古いバラック風の建物だが、線路際の店はほとんどやや大き目の二階家になっている。 やきとり屋は仲通りと線路際に、合わせて約二十五軒ある。鳥を焼く店もあるが、たいていは豚のモツを焼いている。 私がやっているやきとり屋も、やはりモツ焼きで、仲通りの南寄りの第一宝来家と、線路際のやはり南寄りの第二宝来家の二つがある。
第一宝来家は小さな古バラックの平屋だが、戦後の焼野原になっていた昭和二十二年の新宿で誰よりも早くやきとり屋を始めた店だ。間口が約7尺(約2m10cm)、奥行が九尺(約2m70cm)。カウンターに坐れる客数は十二人ぐらい。店員は中年の吉田、山田という人のよい男2人。しかし何といっても、この店は戦後のやきとり発祥の店で、あれから三十六年もたつと、もう一種の酒場文化財みたいなものになったと私は思っている。ここには、やきとりの匂いと一緒に、戦後の昔懐かしいカストリやどぶろくの匂いもしみ込んでいる。
仲通りの他のやきとり屋も、私より遅れて始めたとはいえ、たいてい三十年以上たっている。それぞれ風雪に堪え、他人が真似られない奥深い味わいを持っている。 線路際の第二宝来家は、昭和三十四年に隣の水仙屋から譲り受けたもので、間口が九尺(約二m七十cm)、奥行が四間(二十四尺、約七m二十cm)の木造二階建て。一階はカウンターと四つのテーブルで、二十五人ぐらいの客が坐れる。二階はぜんぶテーブルで三十人ぐらいの客が座れる。店員は一階が焼き手の佐野、調理の金子、会計の大森という四十歳前後の元気な男たちと、”おやじ”と呼ばれる六十六歳の私の四人。調理の金子は私の娘婿で、修行中。二階がりんと勝子というおばさん二人。りんは勤続二十四年のベテランで、口は悪いが気っぷがいいというので、二十代の若いお客にも受けている名物ばあさんだ。
超高層ビル街の一角と新宿駅西口広場
- 西口会館
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- 伊勢丹
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うちのやきとりは一本六十円。酒は、東関東の品評会で優勝したことがある清酒二級を銚子一本二百円で売っている。一級(二百五十円)も特級(三百円)もあるが、二級がうちの特色だ。ビールは大びん一本四百円、小びん二百円。ウイスキーはトリスのダブルが三百円、ダルマが六百円。コーラとジュースが各百円。 だから、やきとり五本と酒二本かビール一本で七百円というような勘定になる。 やきとり以外では、煮込み(二百円)、肉じゃが煮(二百円)、牛レバ刺し(六百円)、千枚刺し(二百円)、自家製朝鮮漬(二百円)、お新香(二百円)、生野菜(二百円)冷奴(二百円)、酢の物(二百円)、生昆布のカラシ和え(二百円)などが主なメニュー。
うちは押し売りと貸し売りをしない。お世辞もいわない。ただ、どうしたらお客さんをもう一度店にこさせるかということに商売をすることにしている。 やきとりは、どういうものがうまいか?それはやはり、材料が新鮮で、タレがよく、焼き方がうまいということになるだろう。 うちでは毎日、小型四輪トラックで、港区芝浦にある東洋一の屠殺場に行き、つぶしたばかりの豚の内蔵を60kgから80kgほど仕入れてくる。心臓など、帰ってくる途中でもまだぴくぴくしているくらいだ。レバは一日たつと、色も味も変わるので、その日のうちに食べなければまずくなる。
戦後のやきとり発祥地、第一宝来家 やきとりの種類
刺身にする牛レバの仕入れには特に気をつけている。これは牝牛のもので筋のないところに限る。牛レバ刺しはニンニク醤油か、しょうが醤油で食うが、うちの品質には自信がある。
「これだけ新しくて、これだけの味のものがこの近くにあったら、ただで食わせるよ。”レバ刺し”と看板に出して売っている店の人がうちに食いに来るくらいなんだから」 疑わしそうな顔をする客に、私はそういう。
余談になったが、やきとりの種類は別表のようなものになる。このうち、子袋(子宮)、乳(乳房)、玉(睾丸)などは、いいものがなかなか手に入りにくい。このごろの豚は、昔は八ヶ月でつぶしたものを急速飼育で六ヶ月でつぶす。そうすると、牝の場合、子宮が割箸ぐらいの太さしかなく、味がよくない。乳房は、仔豚に二ヶ月ぐらい乳をのませたもので、乳がぼたぼた出るようなのがよく、塩で焼いて食うと絶妙にうまいが、そういうものが簡単に手に入るわけもない。睾丸がついた牡豚も数が少ない。養豚場では、十頭のうち五頭は去勢してしまう。そうしないと餌を余計に食い、肉が固くなり、育ちが悪くなるからだ。特別に血統を持っている種豚などは百頭に一頭ぐらいしかつぶれていないから、そういう睾丸はなおさら手に入らない。
「今日はたまたまタマがあるよ」 と、うちの者がダジャレをとばすのも、無理がないのだ。ついでだが、玉は生で、ニンニク醤油か、しょうが醤油で食ってもイケる。
次は、タレの作り方だ。これはもう、何十年にもわたり、毎日火を入れて、二升ぐらいずつ補充をつづけている。最初は、南京豆を摺鉢に入れて摺る。するとピーナツバターみたいになるが、そこへザラメ砂糖醤油のタレを少しずつ足して混ぜ合わせる。それからまた南京豆を摺って入れ、さらにタレを足す。それに火を入れ、沸とうしたらすぐ止め、十度から十五度まで下げ、もういっぺん火を入れて沸とうさせて、すぐ止める。これでものすごく濃度が出るが、そこで味を見て、甘い辛いを調節する。ザラメ砂糖を使うのは、照りを出すためだ。これを毎日くり返して古いタレに補充をつづけているが、古いタレは、いろいろな内臓のエキスを吸い込んでいるから、それだけ味がよくなっているというわけだ。