安くて旨い手づくり料理

第一、第二宝来家は、毎日午後三時ごろ店を開ける。ちらほらお客が来るからだ。それまでに、商売の準備はととのえなければならない。婿の恒太(調理の金子)は、毎日、小型四輪トラックで、午後十時ごろ芝浦の屠殺場に着く。そこで、豚、牛の内蔵をいろいろ仕入れる。それを大きなポリバケツ二つぐらいに入れ、車に積んで午後十一時半ごろ第二宝来家前まで帰ってくる。

内蔵は、焼き手の佐野と吉田がやきとりの大きさに切る。切ったものを二階に運び、うちのばあさん(妻、六十二歳の静)や第一、第二の店員たちがみんなで刺す。
やきとりのタレは、佐野が午後九時半ごろから第二宝来家の一階で新しいものをつくって、古いタレに補充する。

やきとり以外の手づくり料理の仕込みは、私と恒太とでやっている。しかし、何でも、最後は私が自分の舌で確め、これでいいと思ってから店に出す。料理なんてものは、自分が「これは旨い」と思っても、お客はせいぜいその半分しか感じてくれないものだ。だから、料理をつくったら、必ず自分の口に入れて、ほんとに旨いかどうかを試さなくてはならない。サラダだって、砂糖入れる、塩入れる、マヨネーズ入れるというそのたびに味を確かめてみる。われわれは、どこのどのたさまにも、「旨かった」といってもらわなくてはならないからだ。 新宿中村屋の番頭さんがいっていた。
「おれんとこのカリン糖だって、隣のカリン糖だって同じといえば同じかもしれないよ。だけど、売れるっていうのは旨いから売れるんだよ」
そうはいっても、私だって並みの人間だから、まちがいもするしヘマもする。しかし、自分で気がつくにしても、人からいわれるにしても、悪いと分かれば、いいというところまで、何べんでも、とことん作り直している。 「食う」という字は「人を良くする」ということだ。ましてわれわれは、人の口に物を入れて金をもらうんだから、料理はよほど愛情を持って作らなければ、それだけの物にはなりっこない。

いま、やきとり以外に、前にいったように何種類かの手づくり料理を出しているが、私はそういう気持ちで作っている。その中で、ポテトサラダも自信がある。 あるとき、なにも知らずにこれを注文したお客がいた。
「おい、ソースねえか」
トンカツ屋のトンカツのわきにくっついているサラダぐらいに思ったらしい。それで私がいった。
「なにぃ、ソースぅ。あんた、ソースかけて食うサラダとはちがうんだよ。シャンデリヤがついている下で、金ぴかの皿の上で食うサラダなんだ。レストランじゃ千円ちかく取るよ。そのままで食ってみな」
「こら旨えや」
「あたりめえだ、十種類もいろんなものが入ってんだから」
実際、人参、きゅうり、じゃがいも、セロリ、りんご、パイナップル、玉ねぎスライスなどを入れてある。

しかし、これは種を明かすと、Nホテルのチーフをしている私の義理の弟に手ほどきを受けたものなのだ。だが、まったくの受け売りではない。自分で何べんも試してみて、「これでいける」と思ったから店に出したのだ。戦前私は、日本橋人形町の日山商会という精肉問屋に七年ほど働き、卸し部の責任者となった。そこは直営のすきやき店もやっていて、板前も五、六人いた。私は生まれつき料理が好きだったので、専門外のことではあったが、彼らにいろいろ教えてもらった。それも、今、役に立っていると思う。 うちの店も、昭和四十年代のはじめごろまではやきとり専門だった。ほかには、きゅうりときゃべつとしょうがをまぜ、塩もみしたのを出すぐらいだった。昭和四十二年ごろ煮込みを出すようになり、つい三年前ぐらいから、いろいろな料理を出すようになった。 世の中がだんだん変わってきて、お客の口も、いろいろなものを欲しがるようになってきたからだ。

しかし、やきとりにしても、ほかの料理にしても、いつまでたっても工夫を止めることはできない。味に際限はないからだ。また、たくあんや、こんにゃく煮や、ごぼう煮みたいな、常連客へのちょっとしたサービス品でも、いい加減なものは出せない。スーパーあたりで買ってきたものに味の素をぶっかけて出すなんてことをやってはだめだ。いつだったか、週に三回か四回来てくれる四十代の男のお客にごぼう煮をほんの少し、サービスに出したところ、翌日また来てくれて、
「おやじさん、昨日のごぼうの作り方、教えてよ」
といわれた。
「教えてできるもんじゃないよ」
「女房が教えてもらってくれというんだ」

「おれが教えた通りのことを奥さんにいってみな、あんた自分で作ってみてといわれるよ。いまの奥さんたちは、スーパーあたりで何でも買ってきて、あとはテレビ料理を見てやってんだ。おれはちがうよ。まず、自転車に乗って、あっちこっち、安くていいものを探すんだ。ごぼうだってそうだよ。それからね、ごぼう煮るときは、お湯が熱くてもだめ、ぬるくてもだめ。中ぐらいのお湯に、きざんだやつを入れると、アクが真っ赤になって出る。反対にごぼうは白くなる。それから水を切る。タレを作る。そこでごぼうを油でいためて、タレを仕掛ける。タレの作り方だって、仕掛け方だって一口じゃいえないし、いったってなかなかできるもんじゃない。こういうことを奥さんにいえば、自分でやったらっていわれるよ」
「ふーん、かんたんじゃねえんだなあ」
まったくその通りで、うまいものを作ろうとしたら手間がかかる。しかし、われわれはそれをやらなきゃならないのだ。

店は、午後六時ごろからだんだんお客がふえ、七時から八時にかけてピークとなる。一週間のうちでいうと、月曜日と金曜日が忙しい。特に毎月二十八日から翌月三日ごろまでは、第一、第二の二つの店でも入りきれないくらいになる。 うちのお客さんは、年齢でいうと、三十代、四十代がいちばん多い。それから二十代、五十代以上という順だ。そして男性が八十パーセントから九十パーセントで、残念ながら、女性はまだ少ない。 アベックはちらほら。
飲食代は、平均すると、千円以内だろう。

お客さんの職業はさまざまだが、やはりサラリーマンとOLが多い。近辺のデパート、銀行、保険会社、学校、役所、超高層ビルの人たちや、都心の官公庁、電力会社、建築会社などの人たちだ。商店の人も少なくない。 外人もときどき来る。京王プラザホテル、ホテルサンルート、新宿プリンスホテルなどの泊り客だ。白人よりも東南アジアの人が多い。韓国、台湾、香港、シンガポール、タイなどだ。店の前を行ったり来たりして、入ろうか入るまいかという姿をよく見かける。入ってくると、会計の大森がカタコト英語で何とか間に合わせる。

やくざは、昭和三十年代までは、まわりでうろついたり、店に入ってきて、悪い印象をあたえることがあった。しかし、今はまったくといってもいいくらい姿を見せない。ときたま来ることもあるが、おとなしく飲んで帰る。騒げば警察に引っ張られるからだ。また、この飲食店街には、女性が接客サービスをする風俗営業の店が少ないので、取りつくシマもないのだろう。暴力団が経営している店も一軒もない。そのせいか、もう長い間、これというトラブルや事件を聞かない。

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